絵画作家 上原一馬 ウェブサイト

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updated 2019-06-25


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上原一馬 2019年のブログ
UEHARA Kazuma's Blog


 

2019.05.01

「ウィーン・モダン」展 確かにそこに芸術が咲いていた

クリムト

 
『ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道』展(国立新美術館)へ。
 
クリムト、シーレ。
私の大好きな作家達だ。
 
この二人の作家の作品を観るのは初めてだ。
 
クリムトの才能には、とにかく驚いた。
 
装飾的な絵画が有名だが、
ポスターや鉛筆に至るまで、すべてが素晴らしい。
 
鉛筆の一本の線にしても、
何とも心地よい、納得させられるものだ。
 
なるほど、クリムトとシーレは交流があったのか。
伝染する才能とはこういうことか。
 
シーレの油彩の筆圧もまた良い。
こんな人体の描き方があるとは。
 
この時代の作家達は自分で描くだけではない。
舞台芸術のポスターや、壁画などの装飾にも積極的に関わっている。
 
絵画とデザインの境界が、あってないような、
見事に融合された活動をしていたことにも、驚いた。
 
オーストリアがハプスブルク家の下で栄えていた頃、様々な文化が興隆していた。
ここから文化が生まれていくのだという、勢いのある空気感まで感じることができた。
 
確かに、街は美術・音楽、芸術に満たされていた。

 

2019.04.30

第93回 国展 2019 注目作品

マスナリ リョウコ

 
マスナリ リョウコ〈モリノホコリⅡ〉
 
今回、私の心をとらえた作品。
一人だけ感性が違う。
 
柔らかい風景だ。
夢の中に、絵本の世界の中に誘うような、空想の風景。
 
実に弱々しく、はかなげだ。
塗りの薄さといったら、繊細そのものだ。
 
この、繊細さから生み出される無限の空間。
とてもさわやかな癒し。
 
部屋にあったら、日常の癒しとなり、
ていねいに頑張ろう、そんな気持ちにさせてくれるような絵だと感じた。
 
 
山田美智子

 
山田美智子〈冬の河〉絵画部奨励賞
 
この寝そべる男性の存在感に見入ってしまった作品。
 
どこにでもいそうな男性が、普通の服を着ている。
寝そべっている地面もその辺にありそうだ。
 
この普通同士のありえない組み合わせを、
懸命な描写で、崇高な雰囲気にまで仕上げている。
 
男性の表情も、画面の色も決して主張するものではない。
ただ、確かに、そこに静かにいる。
 
止まった時間の中にいるように。
男性は永遠の存在であるかのように。
 
若い作家なのだろうか。
将来性をひしひしと感じさせた。
 
 
荻原優

 
荻原優〈パラージュの夢〉
 
この絵のセンスには、お手上げだった。
 
日常の人々の表情と、街の情景を、実にユーモラスにとらえている。
その一つ一つが、本当に面白く描かれている。
 
コスプレから、お化け、宇宙人まで、何でも登場する。
奇想天外な世界だ。
この人、絵が好きなんだろうな。
 
もっと良く見たいんですけど...
上の方で首が痛くなってしまったので、やめておいたが、
ずっとニヤニヤしながら楽しんで観ていたい、
そんな明るい絵だった。
 
 
この作家たちには大切なものをもらったように感じた。
感謝の気持ちでいっぱいだ。

 

2019.03.23

描かされる男

上原一馬アトリエ

 
制作も終盤に差し掛かる。
 
この段階になると感じることは、「絵に描かされてている」という錯覚だ。
 
最初は、自分がアイディアを考え、描き始めた絵だ。
 
しかしだんだんと、自分で描きに行くというより、絵に呼ばれて描きに行くような状態になる。
 
「ここを直してよ」「そっちをやったらこっちだよ」
 
おいおい、いつから、そんなに自己主張するようになったんだ?
 
仕方なく、今日もアトリエに向かう。
「今日眠いんですけど…」
そんな言い訳、お前は聞いてくれないよな…
 
いつから主従関係が逆転したんだ?
 
そんなことを言っているうちに制作は大詰めに向かう。
 
情けない従僕の最後のあがきだ。
「最後の一手はこっちで入れさせてもらうからな!」

 

2019.02.23

サンドルフィー 静かな叫び

サンドルフィー

 
サンドルフィ(Isvan Sandorfi)。ハンガリーの作家だ。
 
写実画家の中でもその画風は異彩。
 
緻密に、生々しく描かれる人物は、背景のブルーに溶け込み、怪しい光を放っている。
 
静かな世界に、男の叫びだけが響いてくるようだ。
 
人物はそこにいるかのように、存在感があるのだが、
その存在は遠い世界のように現実感がない。
 
ただ、その叫びだけが遠くから聞こえてくるのだ。
 
一瞬にして、その世界に引き込まれ、
異空間の居心地の悪さを味わうこととなる。
 
しかし、画面は清潔そのもので、なぜか美しいものに触れていたくなる。
 
その矛盾の中で、言葉では言い表せない人間の感情を共有したくなるのだ。
 
9月からは日本でもホキ美術館で、大規模な回顧展が開催予定だ。
 
言葉のない世界共通言語でサンドルフィーの絵は叫び続ける。

 

2019.01.26

村上早 生(せい)とは何か

村上早

 
サントミューゼ 上田市立美術館の『村上早展-gone girl-』へ。
 
この美術館主催の山本鼎版画大賞展の大賞を獲った時から気になっていた。
ボロボロの作品を出品してきた彼女は、美術館からの問い合わせに、
蚊の鳴くような声で申し訳なさそうに何度も謝っていたという。
 
作品はシンプル。
余計な要素は何もない。
ただ直感的な線が彫り込まれているのみだ。
 
しかし、その鮮烈な印象。
 
柔らかいフォルムとは裏腹に、
心の深い深いところに突き刺さってくる。
 
作品に隠されたテーマ性が、この心に響く要素になっているように思えた。
 
どんな人物なのだろうと、美術館で映像を見ていて分かったこと。
 
彼女は幼少期に心臓の手術を受け、普通の子ができることを制限された中で生きてきたこと。
その偏見の苦しみとともに生きてきたのだろう。
 
実家は獣医で、いつも死と隣り合わせの中で、生活してきたこと。
「死」が日常にあるということが、彼女の「生」の意識に影響を与えたのだろう。
 
彼女の日常の感情が作品の中に現れる。
どんな悲しい過去も、日常の鬱積も、作品に昇華される。
 
制作なしでは生きられない本物の「作家」とは、こういう人物のことを言うのだろう。
 
こんなに単純なのに、こんなにも新しい。
大賞受賞も、うなずける。

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